女子美展覧会 in ヴェネチア、ミラノ視察レポート
はじめに
ヴェネチアでECC(European Cultural Centre)が主催する国際芸術展「Personal Structures」が4月20日から11月24日まで開催されています。
女子美術大学は本展覧会に参加しており、前半展示(4/20〜8/26)と後半展示(8/28〜11/24)に分けて展示を企画します。
開催に先立って、ヴェネチアでレセプションが行われ、女子美クリエイティブ・ラボチームも現地で参加してきました。
ヴェネチア・ビエンナーレのヴェルニサージュの時期とも重なり、街の雰囲気はとても華やかでした。本コラムでは、そんな現地での様子をお届けします。少しでもみなさんが水の都「ヴェネチア」の風を感じていただければ嬉しいです。
ヴェネチアってどんなところ?
「水の都」で知られるヴェネチアは海に囲まれた美しい島。人口は約26万人。本島以外にもムラーノ島やブラーノ島などの小さな島々がたくさんあるのも魅力です。水に浮かぶ伝統的な街並みの景色は唯一無二で、人生で一度は訪れたい場所ではないでしょうか。
ヴェネチアは観光地として有名ですが、大学も存在し、特にヴェネチア大学の日本語学科はレベルが高いことで知られています。
日本からヴェネチアは、今回はイスタンブール乗り換えで搭乗時間は約16時間(日本からイスタンブールが13時間、イスタンブールからヴェネチアが2時間30 分ほど)でした。日本からは直行便はありません。
ヴェネチア島内の移動は船です。水上バス、水上タクシー、または徒歩になります。電車やバスはありません。
ECCとは?
ECCは、2002年にアーティストのレネ・リートマイヤー(Rene Rietmeyer)氏によって設立された非営利団体です。本部をオランダに構え、世界各地に文化センターを設立し、美術展や建築展、シンポジウムなど、様々な活動を行っています。
本学が参加している「Personal Structures」展もその活動のひとつです。展示会場はパラッツォ・ベンボー、パラッツォ・モーラ、マリナレッサ庭園で行われ、様々な分野のアーティストや大学関係者等が参加しています。本イベントは、国際的な現代美術プラットフォームとして2003 年から行われています。参加者同士の交流やアイデアの共有を促し、様々なアプローチで「Time, Space, and Existence (時間、空間、存在)」を探求する場となることがテーマとなっています。
展示会場1:マリナレッサ庭園(Giardini della Marinaressa)
4月18日の朝、オープニングセレモニーが行われました。庭園では、彫刻作品が主に展示されています。マリナレッサ庭園は海に面した緑が生い茂る美しい庭園です。
展示会場2:パラッツォ・ベンボー(Palazzo Bembo)
パラッツォ・ベンボーは、リアルト橋の近くにあります。リアルト橋は、世界で最も美しい運河の「カナル・グランデ」にかかる白い大きな橋です。800年以上の歴史があり、ヴェネチアの中で最も大きな橋となっています。幅22m、長さ48mもあるそうです。このリアルト橋を過ぎたところにパラッツォ・ベンボーが見えます(茶色の建物です)。
女子美の展示はパラッツォ・ベンボーで行われています。
本展では、女子美の女性アーティストやデザイナーの地位向上に大きな影響を与えた歴史的な卒業生を紹介しています。今回は、卒業生である三岸節子(1905 – 1999)に焦点を当てています。
また、明治、大正、昭和期の女性美術家について研究する吉良智子先生に、三岸節子が生きた時代について語っていただいた動画も展示しています。
左側の壁面には女子美術大学についてのテキスト、正面には吉良先生の動画、右側の壁面には三岸節子の年表と生前に残した言葉などを展示しています。
三岸節子について
1905年生まれ。女子美術大学に入学したのは1922年17歳の時、女子美術学校(当時の女子美)2学年に編入します。洋画を学び、19歳の時に画家・三岸好太郎と結婚します。三人の子どもに恵まれますが、29歳の時に夫・好太郎を亡くします。激動の人生を送りながらも、自身の信念を貫き通し、女性が洋画家を目指すことが普通ではなかった時代に、女性画家たちの活躍の場を広めるために1946年に「女流画家協会」を作ります。その後も日本の女性洋画家のパイオニアとして時代を切り拓いていきました。
63歳でフランスに移住するなど、彼女の活動は年齢にとらわれません。節子はヴェネチアの風景を気に入っており、風景画もいくつも残しています。
展示には、節子が生前残した印象的な言葉を展示しています。例えば、以下のような言葉を残しています。ここから、女性としての苦労、女性画家としての苦悩、様々な社会的環境が彼女の人生に影響しており、節子がそこに打ち勝とうという意志が見て取れます。
- ・女性には絵を描く条件に於て、又多くを沮む難関がある。エネルギーが足りない。家庭が、時間が、環境がこれを阻む。
・女で油絵を描いては、絶対に生活が成り立たなかったことです。そして努力が足りなかったのです。人間としての成熟が為されていなかったのです。
・男と同じに人間的苦悩に堪えてゆくことです。女性的感傷を放棄することです。現実を直視して己を絶対に甘やかしてはいけません。絵画の道は苦しみの道であります
・愚かものとわらわれようが、痴れものとさげすまれようが、わたくしはみんな乗り超えて、蹴飛ばして、もっともっと自由奔放思いきりきずいきままでありたいのです。
女らしく……わたくしはそれがいやなのです。
・「ああ、これで私は生きられる。画家として生きていくことができる」——夫・好太郎の愛人関係の悩みや育児などの多忙な生活により、作品制作ができていなかった節子は、夫の死がわかった時に、心の中で唱えた。
*上記の言葉は次の書籍から抜粋したものです。引用:『黄色い手帖』 (三岸節子、ちくま文庫、1999)、『炎の画家 三岸節子』(吉武輝子、文藝春秋、1999)
今の私たちの心にも刺さる力強い言葉がたくさんあります。
吉良先生の動画の向かい側の壁面には、片岡球子、佐野ぬい、三岸節子、荘司福、多田美波、堀文子、三谷十糸子、郷倉和子の作品とプロフィールを紹介展示しています。
オープニング・レセプションでは、ライブ演奏もありました!
パラッツォ・ベンボーの窓から見える風景です。右に見える白い橋は「リアルト橋」です。夕暮れ時の景色が美しいです。
展示会場3:パラッツオ・モーラ(Palazzo Mora)
街中に位置するパラッツオ ・モーラは、4フロアにわたる展示が行われ、3会場の中で最も参加者が多い会場となっています。
オープニングレセプションも大変盛り上がっていました。
ヘルシンキ芸術大学で講師を勤めるMarika Oreniusさんの展示です。女子美の展示も見ていただき、交流することができました。Marikaさんの作品制作プロセスを見せる展示構成になっており、自身の作品について対談形式で話す映像も展示されていました。
ローレンス・ウィナー(1942-2021)の作品もありました。言葉を使ったグラフィックが象徴的で、コンセプチュアルアート作品で知られています。
ヘルマン・ニッチュ(1938-2022)の作品も展示されていました。
参加者それぞれの個性を感じられるユニークな3つの会場でした。
特に女子美が展示をしているパラッツォ・ベンボーはヴェネチアらしい会場です。海に面した眺めや建物も美しいです。
本展のオープニングに参加したことで、女子美の活動を世界へと発信し、人々と繋がることができました。また、世界各国のアーティストだけでなく大学や様々なプロジェクトなどの取り組みを知る良い機会となりました。後半(8/28〜11/24)の展覧会にも期待できます。
ヴェネチア・ビエンナーレ 2024
ヴェネチア・ビエンナーレとは、1895年から2年に1度開催されている世界で最も長い歴史を持つ国際的な美術の展覧会です。今年で60回目の開催となり、現在も世界から注目を集める国際展として存在しています。今年の会期は4月20日から11月24日までで、総勢331組のアーティストが世界から集結しました。
ヴェネチア・ビエンナーレでは毎回選ばれたキュレーターがコンセプトを決めて、展覧会を構成します。今年のテーマは「Stranieri Ovunque / Foreigners Everywhere(どこにでもいる外国人)」で、キュレーターはアドリアーノ・ペドロサが務めました。
展覧会会場は、ジャルディー二会場とアルセナーレ会場と別れており、キュレーター・アドリアーノ・ペドロサによるメインの企画展覧会が行われています。さらに、各国のパヴィリオン(展示館)が点在しています。各国自らキュレーターとアーティストを選択し展覧会をパヴィリオンで行い、その中から優秀賞(金獅子賞)が選ばれます。どの国のパヴィリオンが選ばれるのかは、アート界において注目されます。日本は1952年から参加し、1956年に日本館(パヴィリオン)を建設、それ以降は継続して参加しています。
今年の日本パヴィリオンでは、毛利悠子さんの展示「COMPOSE」が開催されています。キュレーターは、イ・スッキョンさんです。
本作は日本の地下鉄などで見る雨漏り防止の光景から着想を得ています。雨漏りの「水」と言うテーマは、ヴェネチアの美しさでもあり浸水問題でもある「水」と重なります。
常に様々な形や音を生成しているインスタレーションは見飽きることがありません。会場はたくさんの人で溢れていました。
ラボスタッフがビエンナーレを訪れたのは公開日の初日、その前の17. 18. 19日はヴェルニサージュ(オープニング・レセプション)期間でした。招待客が世界各国から訪れ、ヴェネチア全体が華やかなパーティーの雰囲気でした。
時間の都合上、今回は全ての会場を回ることはできませんでしたが、もしヴェネチアに行くことがある際はみなさんもヴェネチア・ビエンナーレに足を運んでみてくださいね。
ミラノサローネ
ヴェネチアの視察後は、ミラノへ移動しました。ヴェネチアからミラノまでは電車で約2時間30分程度です。直通で行けるので大変便利です。
ミラノではミラノサローネ(Salone del Mobile.Milano )が開催中でした。ヴェチア・ビエンナーレが国際的な美術の祭典だとしたら、ミラノサローネは国際的な家具(インテリアデザイン)の見本市です。見本市と言ってもアート展示のようなショースペースになっています。
ホール会場だけでなく、街の中にもスペースを借りて様々な企業やチームが展示をしています。
慶応義塾大学大学院では「Mocchi」と言う製品が開発されていました。片付けが苦手な子どもたちが、Mocchiというキャラクターを通して片付けが楽しくなる仕組みになっています。
カリモク家具のブースでは「ヒノキ」を使った家具が紹介されていました。日本では馴染みのある素材ですが、海外ではあまり馴染みがない素材だそうです。檜の柔らかい雰囲気がイタリアの光と調和し美しい会場となっていました。
女子美・イタリア支部
最後は、イタリアで活躍する女子美生たちと交流する場を持つことができました。
女子美には海外で活躍されている卒業生たちがたくさんいます。海外の同窓会支部は、韓国支部、ニューヨーク支部、そしてイタリア支部があります。今回は視察の最後にイタリア支部の方々と懇親会を行うことができました。
女子美にはパリ賞とミラノ賞があります。「100周年記念大村文子基金」によってパリ賞が2000年に創設され、その後「ミラノ賞」が2007年に創設されました。
イタリア支部は2008年に創設されました。支部ではこれまで、会員同士の交流はもちろん、ミラノ賞受賞者のサポートや近年ではオリジナルデザインスカーフの製作など熱心に活動されてきました。
女子美ミラノ賞は2017年から、ブレラ国立美術学院への研究員あるいは留学生としての派遣になりましたが、それまではミラノに拠点を置くデザイン事務所「Migliore+Servetto」での研修でした。事務所のマーラ・セルベット先生は女子美の客員教授でもあります。
毎年日本からイタリアに希望を抱えてやってくる女子美生たちを支部のみなさんが支えて下さっていたのです。
今回の懇親会では、湯崎夫沙子さん、野尻奈津子さん、西尾和子さん、マーラ・セルベット先生、宮口裕加さん、飛鋪亜紗子さん、門谷栞奈さん、ノ・ヨンアさん、古山春香さん、アニエーゼさんが参加しました。
そのなかでも、湯崎夫沙子さん、野尻奈津子さん、西尾和子さんは、60年代に女子美を卒業され、ブレラ国立美術学院へ留学、そして現在もイタリアにお住まいです。
ミラノ賞だけの繋がりではなく、それ以外の留学や仕事などでイタリアにいる方も支部を通して繋がっています。
懇親会を通して、女子美生たちのコミュニティは国境と世代を超えて広がっていることを実感し、あたたかい時間を過ごすことができました。
執筆者:田中直子
女子美クリエイティブ・ラボラトリー助手。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻博士後期課程修了(2023年度)。女子美術大学アートプロデュース表現領域にて修士と学士。1938年に行われた児童画コンクール「日独伊親善図画」の研究をしながら、展覧会のキュレーションや執筆活動なども行っている。https://naokotanaka.wixsite.com/1938